新谷キヨシ official site



 


no.63_15.09.21

車の運転

 二十歳が大人の仲間入りなら、五十歳になった僕は三十年も大人をやっていることになります。それでもふとした時に「ああ、僕も大人になったんだなぁ」としみじみ感じ入る時があります。その感情は車の運転中によく沸き起こります。
 子供の頃、父親の運転する車の助手席に乗ることが好きでした。父親は、ハンドル、シフトレバー(当時はマニュアル車だった)、ウインカー、アクセル、ブレーキ、クラッチをてきぱきと操作します。前方、後方、左右をちらちら見ます。当時の車はドアミラーでなくフェンダーミラー(車体前方左右についた小さなミラー)でした。フェンダーミラーで確認する車はとても遠く小さく見えて、このようなミラーで左右後方の状況が分かるのかなと思っていました。手と足と目と耳を総動員して運転は成り立っているのです。
 そんな父親を助手席から見て、「僕も大人になったらこのような複雑な操作を行えるようになるのだろうか。一瞬のミスで事故につながる危険なことを大人になったらやらなければならないのだろうか」と不安になっていました。でも子供だった僕は、大人になるということが遥か遠い未来にあるものと思って、「まだまだ大丈夫だ」と妙に安心していました。
 でも気が付けば僕は大学生になって教習所で車の運転を習っているのです。遥か遠くにあると思っていた「大人」が目の前にあったのです。車の運転は意外にも簡単に習得でき、試験もパスし、運転免許証を取得しました。「案ずるより産むが易し」とはこのことですね。僕は車の運転を許されたことに戸惑いながらもいよいよ運転するのです。初めての一人運転。その時、「ああ、僕も大人になって車が運転できるようになったんだなぁ」としみじみ感じ入りました。そして運転歴三十年、今でもこのしみじみとした感情が沸き起こってくるのです。



1


no.62_15.08.11

四十年ぶりの再会

 その歌は僕が十歳の頃にたまたま一度聞いただけで、曲名も歌手も分からずメロディも忘れていました。ただ、悲しい曲調の「街が泣いてた」という歌詞の一節だけが僕の心にずっと残っていました。なぜその歌が僕の心から離れなかったのか。
 小学生の頃、毎年夏休みに車で家族旅行に行っていました。その年の旅行は広島と山口で、広島では原爆ドームと広島平和記念資料館に行きました。資料館は衝撃的でした。熱で溶けたビン、変色した瓦、そして一番衝撃を受けたのが、被爆直後の逃げまどう人々を人形で再現したジオラマでした。
 資料館を出てもジオラマの人形が頭から離れません。僕の後ろから「たすけてー」と追いかけられているような気がして何度も振り返りました。車に乗り込み、広島の街を走り抜けます。車窓からは平和な広島の風景が流れていきます。その時、カーラジオから流れてきたのがこの歌だったのですが、「街が泣いてた」この一節だけが被爆直後の風景とシンクロして僕の心に深く刻まれたのでした。

 四十年経った今、テレビの歌番組でこの曲に再会したのです! 甲斐バンドの「裏切りの街角」という曲でした。不思議なのですが、曲中の「街が泣いてた」という一節しか記憶していなかったのに、イントロが流れ出した瞬間、「あ! この曲は! あの時の!」と分かったのです。鳥肌が立ちました。曲を聴いている時、資料館のジオラマ、平和な広島の風景、十歳の頃の僕、四十年前の風景がまざまざと蘇ってきました。
  記憶とは不思議なものですね。なぜイントロを聴いただけで分かったのでしょうか。記憶は氷山の一角のようなもので、海に隠れた大半の部分を忘れて暮らしています。でも、脳は見たものや聞いたこと、感じたことや考えたことなどのすべてを記録していて、何かのきっかけでそのしまわれていた記憶が呼び起こされるようです。




no.61_15.06.29

使えば使うほど良くなる

 数年前、起き上がれないくらいひどい腰痛になって鍼灸院に通いました。腰はひとまず良くなりましたが、完治したとはいえず、数ヵ月に1回くらいは調子が悪くなっていました。それでも以前のようなひどい腰痛にはならなかったので、腰痛防止のために月2回の鍼灸院通いを継続していました。
 ある時、雑誌を読んでいたら、「頭も体も使えば使うほど良くなる」と書いてありました。この文章を読んで、はっ! としました。常に腰痛の不安を持っていた僕は、腰に負担をかけないように心がけていたのです。でもこれは間違いで、腰を適度に動かして運動することが健康につながるのです。それに気付いて鍼灸院通いをやめ、柔軟体操を毎晩するようにしました。すると以前より腰の状態がよくなったのです。
 脳や内臓や筋肉はそれぞれの役割を果たそうとしています。頭を使わないとボケる。体を使わないと体が衰える。だから頭も体も使えば使うほど良くなるのです。
 鍼灸が腰痛を治してくれる。鍼灸が腰の痛みを取り除いてくれる。そのような気持ちで鍼灸という他力に頼っていたようです。そうではなくて、腰痛を治す、という自力の思いがまず必要だったのですね。実際に病気やケガを治すのは自分自身です。手を切って出血した時、出血を止めてくれるのは自分の血です。鍼灸やお医者さん、処方してもらう薬は、治す手助けをしてくれるだけです。「薬を飲んだら治る」ではなくて「自分の体が治ろうとする力を薬は手助けしてくれる」だったのですね。



1

no.60_15.06.03

万年筆

 初めて自分の万年筆を持ったのは中学生になった時でした。入学祝に近所のおじさんが買ってくれました。ピカピカ光るペン先、渋いボディ、大人の仲間入りをした気持ちになりました。当時は喜んで使っていたけれども、次第に使わなくなり、引越しに紛れてなくしてしまったようです。
 先日、「クローズド・ノート」という映画を観ました。主人公が万年筆の専門店でアルバイトをしている映画で、万年筆の試し書きシーンが印象的でした。ペン先の美しさ、ボディの重厚感、すべるような滑らかさ、ペン先が紙をつたう音…、「書く」という行為自体が至福の時のように感じられ、「万年筆が欲しい」と思いました。
 早速、百貨店の万年筆売り場に行ってみました。モンブラン、パーカー、ペリカン…、やはり値段が高い…。数万円の万年筆を買って数万円の価値のある使い方ができるのか。百円程度のボールペンで十分なのではないか。いやいや、「キヨシの独り言」はしばらく更新していない。万年筆を持てば今より文章をたくさん書いて発信できるのではないか。自分の中で色々な意見が発言され、結局、結論が出ないまま万年筆売り場を離れました。
 考え出すと考えの淵深くに沈みこむ性格なので、その後も心に引っかかったままの状態で様子を見る日々が過ぎていました。そんな折、家族から「壺中堂で安い万年筆、売っていたよ」と教えてもらい、早速、見に行きました。その文具店「壺中堂」では千円くらいから数万円以上の色々な種類の万年筆を取り揃えてありました。その中で千五百円の万年筆を選んで試し書きをしました。書き心地もいいし、重厚感もあります。ペン先も金色(金製ではないが…)で、高級感(高級でもないが…)がありました。これなら気負わず使える! 早速、買い求めて万年筆でこの文章を書いています。

 壺中堂は京都の河原町通り六角下ルにあった大好きな文具店でしたが、残念ながら2014年3月に閉店されました。創業は明治6年だったそうです。万年筆を買ったのは閉店2ヵ月前の2014年1月頃で、上の文章はその頃に書いていたものです。
  壺中堂のショーウインドウには、万年筆、腕時計、地球儀など、魅力的な文具が並べてありました。壺中堂の前を通る時、必ずショーウインドウの前に立ち止まってしばらく文具たちを眺めていました。お店の中は魅力的な文具で溢れていました。その最後の買い物が万年筆だったのです。いえいえ、よくよく思い起こすと万年筆は最初の買い物でもありました。数え切れないほどお店に行っていたと思うのですが、文具を眺めるだけで買い物をしたことがなかったのです。ごめんなさい。壺中堂さん…。最初で最後の買い物、万年筆。もっと文章を書いていこうと思います。
 





no.59_14.05.25

知識

 30歳の頃に読んだ小説を20年ぶりに読み返しました。印象深い小説だったので、久しぶりに読みたくなったのです。30歳といえば十分に大人です。その小説を十分に理解しているものと思っていましたが、当時、分かっていなかったことや新たな発見があり、新鮮な驚きがありました。
 その小説の中に「蘇芳色の着物を着ていた」という文章がありました。30歳の頃は蘇芳色がどんな色が知らなかったし、気にも留めずに読み進めていたと思います。40代の頃、着物に興味を持ち、草木染めの着物や色の本から蘇芳色を知りました。蘇芳色は黒みを帯びた赤色です。この文章から風景が色鮮やかに浮かび上がりました。
 「無明の向こうに浄土のあかりがみえる」という文章がありました。無明とは般若心経の中に出てくる言葉で、簡単にいえば「迷い」のことだそうです。これも40代の頃、般若心経に興味を持ち、解説本を読んでいたので、仏教の言葉を引用していることが分かりました。30歳の頃は「暗闇」程度の認識しかしていなかったと思います。

 0歳から10歳までは無からの知識吸収。10歳から20歳までは家庭や学校環境での劇的な知識吸収。20歳から30歳は社会人としての幅広い知識取得。そして、30歳からは知識増加が緩やかになります。しかし、20年ぶりに小説を読み返してみて、30歳からの20年間でも自分が思っていた以上に知識は増えていたようです。
 昔に読んだ本を読み返すと、昔の自分と今の自分の変化を認識できますね。これからも知ることの楽しさをもっともっと増やしていきたいと思います。



1


no.58_14.03.20

俺の青春は…

 3月21日は僕にとって特別な日です。この日は僕が学生から社会人になった記念すべき日です。「俺の青春は終わった。楽しかった学生生活が終わり、サラリーマン生活が始まる…」と、前日の夜、暗い気持ちになっていました。もちろん社会人になれる期待もありましたが、不安の方が大きかったことをはっきりと覚えています。
 大学の友達も社会人となって京都を離れていきます。仲の良かったK君は東京の会社に就職します。僕の入社日、3月21日はK君が京都を離れて東京へ向かう日でした。彼を見送ることもできずに、僕は入社式会場にいました。
 僕の両親は西陣織の職人で、家の中の工房に機織りの機械を置いて着物の帯を織っていました。だから、サラリーマンというものを直接家族から知ることがなく、小説やドラマの中からイメージしていました。理不尽な会社、無茶な上司、先輩のいじめ、深夜までの残業、休日出勤、わがままなお客様、接待…。悪いイメージはどんどん大きくなっていきます。
 そして、とうとう3月21日がやってきました。入社式の後、数カ月の新入社員研修があり、いよいよ配属です。上司、先輩の指導のもとで仕事が始まりました。もちろん仕事は厳しく、緊張感に満ちたものでしたが、僕の中で大きくなっていたサラリーマンの悪いイメージとは全然違うものでした。考えすぎは不安を増幅させてよくないですね。実際に事が起こってみると、それまで真剣に悩んでいたことがあっけなく問題解決することがよくあります。まさにそんな感じでした。
 入社3年目を過ぎる頃、仕事にも慣れてやりがいも感じていました。そして今、サラリーマン人生の折り返し点も過ぎています。入社日前日の「俺の青春は終わった」を思い出すと、当時の自分が滑稽に思えてきます。でも、その滑稽な自分も若かりし青春の一部だったのでしょう。よく「青春とは年齢でなく気持ちだ」と言いますが、そういう意味では僕は色々なことで人生を楽しんでいる青春継続中です。

 


no.57_12.10.18
考える

 「タイ・バンコクとの時差は何時間だろう?」
 「ハードロックバンド・ディープパープルのギタリストは、リッチー…何だっけ?」
 ネットで検索すれば一瞬で分かります。バンコクの時差は2時間で、ギタリストはリッチー・ブラックモア。でもインターネットがなかった頃はどうやって調べていたのでしょうか? 時差は世界地図を調べる。ギタリストはハードロック好きだった友人に聞く…。情報を得るには手間がかかっていましたね。そして、まず自分が持っている情報から考えてみる、ということをやっていたと思います。
 先日、テレビで日食の番組を見ていたら、「太陽の光が地球に届くには8分20秒かかります」とアナウンサーが言いました。じゃあ太陽と地球の距離は何キロかな? まず光の速度は…、と考えたところ、これが思い出せない…。いやまてまて、光速は地球7周半だ! 地球一回りは…、そうそう4万キロだ。 すると光の速度は、4万km×7.5=30万km! だから太陽と地球の距離は、30万km×500秒=1億5000万km! 自分の持っている情報で疑問を解決できました! テレビを見ていたから自分で考えて答えを導きましたが、パソコンの前にいたなら反射的にネット検索していたと思います。

 日々の生活で疑問や問題に直面した時、自分で考えるというステップを飛ばし、ネット検索で答えを出す習慣が身についていたのです。自分で考える習慣をなくしてしまうと、日々の生活で起こる問題解決能力が低くなります。「ネットに書いてあるからこの選択にしよう」とネットに判断を任せてしまい、自分で判断する習慣がなくなって、判断能力も低くなります。そうなると自分で解決しなければならない問題に直面した時、どうすればよいのか分からなくなってしまいます。インターネットはとても便利ですが、その反面とても怖いなと思いました。
 これからはすぐにネットに頼らず、まず自分で考えることから始めようと思いました。



1


no.56_12.06.02

お釈迦さまは原子物理学者?

 「お経はありがたい」って言うけれど、どのようにありがたいのだろう。ふと疑問に思って調べてみました。

 お経とはお釈迦さまの教えを記録したもので、人間はどのように生きるのか、生きることの本質とは、悩みを解決する方法や幸せになる方法が書いてあります。一番有名なお経は「般若心経」ですね。早速、般若心経の解説本を買って読みました。

 般若心経は262文字のとても短いお経です。その元となっているのが「大般若波羅密多経」で、三蔵法師がインドから中国に持ち帰り、中国語に翻訳しました。この翻訳本が約600巻! 約500万字! これを全部読むのは大変だろうと(思ったかどうかは知りませんが…)、大般若波羅密多経のダイジェスト版として262文字にまとめたものが(まとめすぎ??)般若心経です。三蔵法師さん、ありがとう! これでたくさんの人々が簡単にお釈迦さまの教えに触れることができるようになりました。

 では「般若心経」には何が書かれているのでしょうか。一番有名な言葉に「色即是空」(しきそくぜ〜くう〜)があります。この「色」とは「世の中のすべての物質」のことで、「世の中のすべての物質には実態がない」という意味です。「お金やモノに執着したり、他人をうらやんだりすることは意味のないことだ」という教えです。
 これを知った時、「これは原子レベルで物質を見ている!」と感じました。僕らの体も木も石も水も空気も、そして本も鉛筆も車も電車も全て原子でできています。原子は、原子核と電子で構成していて、原子核の周りを電子が回っています。これは太陽の周りを地球や金星などが回っているような感じです。宇宙空間に太陽系が浮かんでいるようにスカスカな状態なのです。その原子がたくさん集まって様々な物質ができているのです。つまり「色即是空」とは「物質は原子」と言っているのです。
 「不生不滅、不垢不浄、不増不減」という言葉も面白い。Aさんが死んで土に還って、その土の養分を植物が摂取して、その植物をBさんが食べて…。Aさんの原子は巡り巡ってBさんの体を構成しているのです。だから生まれもしないし滅びもしない、汚くもないし綺麗でもない、増えもしないし減りもしない。まさに原子レベルの出来事です!

 お釈迦さまは、地球上の営みを原子レベルで把握していた。だから、お釈迦さまは原子物理学者だったのです!






no.55_12.03.10

雑事

 新聞を読んでいたら、シスター渡辺和子さんの文章が目にとまりました。
「もともと雑用という用事はありません。雑にするから雑用になるのです」
 こんな内容でした。目からウロコです。本当にウロコがとれて視界が開けた気がしました。「雑事に追われて…」なんて言ってはいけませんね。私は雑な人間ですと言っているようなものです。
 どのような小さな事でもすべて大切な事なのだと意識を持つべきなのでしょう。丁寧に生活をしていると、身の回りのモノたちが長持ちします。逆に雑に扱っているとモノもちが悪くなります。コーヒーカップを持ち上げる時、雑に扱うと手をすべらせ、テーブルに落としてしまうかもしれません。その時、カップが割れなくても目に見えないヒビが入って、数日後、洗った時に割れるかもしれません。モノもちが悪いのはこの雑の積み重ねからくるようです。
 急いで事に当たっても数秒短縮できるだけだし、逆に失敗してやり直す可能性大です。一所懸命。一つひとつの所を懸命(ちょっと大げさ?)に丁寧に行っていきたいですね。



1


no.54_12.01.29

一所懸命と一生懸命

 一所懸命と一生懸命、どちらが正しいのでしょう?

 正解はどちらも正しいようです。元々は「一所懸命」で、中世の武士が領地(一つの所)を命懸けで守ったという意味です。「いっしょけんめい」と言っていたのが、現在では「いっしょうけんめい」となり、漢字も「一生懸命」となりました。どちらも「命懸けで」という意味で使えるようです。
 ではどちらがよく使われているのでしょうか? Yahoo! JAPANで検索してみると、一生懸命が約5千万件ヒット、一所懸命が約5百万件ヒットしました。となると一般的には一生懸命ですね。個人的には一所懸命が好きです。一つのことに懸命になる感じがあります。一生懸命となると休みなくずーっと命懸けって感じがあって息切れしそうです。やるときはやる、休む時は休む。これでいきたいですね。
 自宅のピアノを置いている部屋は簡易防音室なので、夜の音出しは9時までと決めています。そうすると面白いことに9時前に素敵なメロディーやアイデアが生まれることがよくあります。残り数分という緊張感と集中によって不思議にも曲が仕上がるのです。日常の中でも切羽詰った場面に出くわします。「今日中にこれを仕上げなければならない」「あと1時間でこの作業を完了しなければならない」 そんな時、火事場の馬鹿力のような力が出るようです。人間の能力には計り知れないものがありますね。でも緊張と集中をずーっと続けていたら体が壊れてしまいます。
 だから一所懸命、そしてひとやすみ。




no.53_11.11.10

硬貨の年齢

 現在の日本の硬貨は一円から五百円まで6種類あります。それぞれの硬貨の表には植物などがデザインされています。一円が若木、五円が稲穂、十円が平等院、五十円が菊、百円が桜、五百円が桐。なぜ十円だけ建物なのか不思議ですね。あらためてそれぞれの硬貨を見ると発見があります。
 僕は五百円硬貨が一番好きです。 え? 一番高価だから? 違います。んーと、ちょっとそれもあるかな…。五百円硬貨は大きくてメダルみたいで好きなんです。その次に好きな硬貨は五十円硬貨です。菊がくっきりと鋳造されていて、おはじきみたいなところが好きです。
 硬貨の裏には製造年が入っています。財布の中の硬貨を調べたら、昭和三十七年の十円硬貨がありました。僕が生まれる前に製造された硬貨です。人の年齢でいうと50歳です。50年も人から人の間を渡り歩いてきて、今は僕の財布の中にいるのです。まず造幣局から銀行への旅立ち。財布の中で一休み。お店のレジの中へ。そしてまた財布の中へ。自動販売機の中へ。子供の貯金箱へ。部屋の片隅に忘れられたり…。色々なところを旅しているのです。ご苦労様です。でもまだまだ旅は続きます。逆に今年製造された平成二十三年の硬貨はピカピカしています。こちらは産まれたばかりの赤ちゃんです。しかし、平成二十三年の硬貨でも既にくすんでいるヤツがいて、いきなり多忙な毎日を過ごしているのが分かります。
 そういう目で硬貨を見ると、それぞれの硬貨には宿命のようなものがあって、ただただ流されながら日本中を旅しているのが面白いですね。



1

no.52_11.10.08
CD音楽鑑賞

 みなさんは音楽をどのような時に聴きますか? 食事の時とか、ティータイムとかに聴くことが多いのではないでしょうか。音楽は何かをしながらでも聴けますから、BGM的に生活の中で音楽が流れています。今、僕も音楽をかけながらこの文章を書いています。このように簡単に音楽が楽しめることが災いして、きちんと音楽に向き合わないようになったと思うのです。
 僕は時々「CD音楽鑑賞」を行っています。1つのCDを選んで部屋に入り、ステレオにCDをセットします。もちろんお茶やお菓子の用意はありません。そしていよいよ「音楽を聴くぞ」という気持ちになってPLAYボタンを押すのです。目を閉じて音楽を待ちます。この目を閉じるのが重要です。五感のなかで一番影響を受けやすいのが視覚です。だから聴覚に集中するために目を閉じます。いよいよ音楽が流れ出すと、そこは僕と音楽だけの世界になります。僕の体も消え去り意識だけになって音楽と向き合うのです。至福の時間。今まで気付かなかった音や息遣い、そこに込められた作曲者や演奏者の想いがビシビシ伝わってきます。みなさんも是非、試してみてください。


no.51_11.08.22
馬に乗ったような感じの曲

 小学校高学年の時、たまたまラジオで流れたクラシックの曲がとても好きになったのですが、曲名を聞き逃してしまいました。メロディも忘れてしまったのですが、「馬に乗ったような感じの曲」という印象だけが残りました。どうしてもこの曲が聴きたくて、父親に連れられてレコード店に行きました。

僕「曲名が分からへんねんけど、『馬に乗ったような感じの曲』を探してるんです」
店員さん「分かりました。じゃあ、探してみましょう」

しばらく待っていると、数枚のレコードを探し出して聴かせてくれました。

店員さん「これですか?」
僕「うーん。違うなあ」
店員さん「じゃあ、これはどう?」
僕「うーん。ちょっと違うかなあ」
店員さん「これかな?」
僕「うーん。違う…かな。分からへん…」

 店員さんはとても親切な方で、このようなやりとりで何枚も聴かせてくれました。膨大なクラシック曲の中から「馬に乗ったような感じ」だけで曲を見つけること自体が無謀ですよね。最後は僕自身も分からなくなっていました。一生懸命に探してくれている店員さんに申し訳なく思った僕は、聴かせてもらった中で一番馬に乗った感じだった「ロッシーニのウィリアム・テル序曲」のレコードを買いました。
 家に戻るともう晩御飯の時間でした。家族で晩御飯を食べながら聴きました。曲が馬に乗ったような部分にくると、父親はのりのりで茶碗を口に当てたままご飯をかきこんでいました。その姿を見て、ウィリアム・テル序曲を買ってよかったなあと思いました。
 「馬に乗ったような感じの曲」は、いまだに見つけられていません。感動的再会はやってくるのか!? 感動的再会時に僕はそれが分かるのか!? わずかな望みをかけて、僕はその時を待っています。



1
no.50_11.07.31
不安のつぶし方


 日々の暮らしの中で、不安になったり自信をなくすことってありますね。僕は気楽な性格で、不安になることは少ないですが、それでもたまに不安がひょっこり顔を出す時があります。

 2011年7月の佐川美術館での「セガンティーニ展コンサート」には一抹の不安がありました。1ヵ月の間に9曲書き上げ、メンバー全員のリハーサルが1回限りというものでした。しかし、メンバーに助けられてコンサートは成功に終わりました。
 僕の不安のつぶし方を書きます。大きなコンサートで不安が出てきたら、学生時代に聴いていた音楽を聴きます。すると、バンド活動していた学生時代の想い出がよみがえります。軽音楽サークルに所属していた僕は、バンドのメンバーとライブハウス出演を目指して練習していました。30分5曲くらいの演奏のために半年以上かけて曲を仕上げるのです。学生時代の自分と今の自分を比べるとすごい成長ぶりですね。「ああ、自分はすごく成長している!」と実感できます。そして、「今までも色々な問題を乗り越えてきた。だから今回も大丈夫!」とつながれば、もう不安は消え去っています。

 短い時間でみていると進歩もなく停滞しているように思えます。しかし、長い期間でみてみると数々の経験によって確実に成長を感じることができます。



no.49_11.07.10
雨の動物園

 その日は朝から雨が降っていました。雨の動物園の動物達はどうしているだろう。雨に濡れてじっとしているクマ。雨の中をはしゃぎ回るサル。オリの屋根の下にたたずむトラ…。そんなことを思いめぐらしていたら、雨の動物園に無性に行きたくなったのです。

 雨の動物園は予想通りさびしかった。お客さんはほとんどいません。雨に濡れたキリンがじっとしています。しばらくキリンを眺めていると、僕に気が付いた様子で、何か意味ありげな視線を投げかけてきました。しばらく見つめ合った後、キリンはぷいっと横を向きました。サル山のサルもじっとしていました。雨はサルを濡らし、サルの体からぽたぽたと雫が落ちています。トラは寝ていました。ライオンはオスとメスの2頭いて、オスがメスにアプローチしていましたが、メスは無視していました。象は象舎にいました。象舎の中をぐるぐると歩き続けています。円を描いて歩いているので、ちょうど真正面に向かい合う瞬間があり、その一瞬だけ象と目が合います。象と僕の距離は50cmくらい。こんなに間近で象を見たのは初めてです。象は長い鼻をぶらんぶらんさせて、あらためて不思議な動物だなあと思いました。

 数十年ぶりの動物園。子供の頃、親に連れて来てもらった動物園。園内に小さな遊園地があって、子供の頃に乗った観覧車は健在でした。数十年経ってもこの観覧車はこの場所で回り続けているのです。僕は子供の頃に戻って観覧車を眺めています。日々の暮らしの積み重ねで今があります。時に過去を振り返ることも大切ですね。その場所が残っていて嬉しく思いました。



1

no.48_11.06.05
元気と病気

 毎年、冬に1回は風邪を引いていましたが、去年は引きませんでした。会社で大きなシステムを開発していた時期で、やりがいのある仕事をしている時は心も体も元気で病気にならないようです。音楽活動は20年以上続けていますが、コンサートやライブの本番を風邪や病気でキャンセルしたことはありません。楽しい時は心も体も元気で病気にならないようです。たまたま体調不良の時でもコンサートが終わる頃には元気になっています。
 「病は気から」って言います。だから「病気」って言うんですね。逆に「気」が元になって「元気」になるんですね。日本語って的確! 気持ちがしっかりしていたり、楽しかったら病気にならないのです。ワクワクしたりドキドキしたら体が活性化します。勢いのある川にはゴミがたまりません。よどみのある川底にはゴミがたまります。体の中に悪いものがあっても体の流れに勢いがあれば、外に押し出してくれます。しかし、よどみ出すと悪いものが体の中にたまって、気持ちも沈んで、やがて病気になるのでしょう。だから、ワクワクしたりドキドキすることが健康の秘訣のようですね。



no.47_11.05.01
自然と人間

 東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 大地が揺れたらどこにも逃げ場はありません。人は自然災害と折り合いをつけるしかありません。それは人間が自然の一部であり、自然の中で人間は生かされているからです。それなのに、人間は自分達の欲求を満たすために自然を利用し、どこまでも破壊し続けています。
 「便利」に対する人間の欲求は限りがありません。洗濯機、エアコン、自動車、飛行機…。便利になった生活はしばらくするとそれが当たり前になり、もっと便利なものを永遠に求め続けていきます。便利を作った分だけその代償が地球にばらまかれました。地球は閉じた世界ですからゴミは消滅しません。ゴミは目の前から消えますが、別の場所へ移動するだけです。
 このままの暮らしを続けていたら地球がダメになる。今回の地震は地球からの警告です。続く余震は決心をにぶらせている人間に対する再警告です。大いなる決意を持って、人間が自然の一部であることを再認識し、自然全体のこと(もちろん人間も含めた)を最優先に考えた行動にシフトしなければなりませんね。


1

no.46_11.03.05
傘がある!

 傘の話しをもうひとつ。数年前のスタジオでのレコーディングの日でした。朝からの雨降りで、傘をさしてスタジオに向いました。レコーディングは無事に終わり、帰る時には雨はやんでいて、そのまま傘を忘れて帰ってしまったのです。その後、雨が降らない日が続いて、傘のこともすっかり忘れていたのですが、久しぶりの雨降りの日、傘がないことに気付きました。この時、傘をどこに忘れたのか、最後に使ったのがいつなのか、思い出せませんでした。普段、僕は忘れ物をしない方なので、傘を忘れたことがとても悔しかった。
 それから数年後、傘を忘れたスタジオで久しぶりのレコーディングがありました。もちろん、そのスタジオに傘を忘れたことなど全く覚えていません。その日は晴れていましたが、レコーディングが終わって、帰る時には雨が降っていました。
 するとスタジオの方が、
「そういえば、キヨシさん。何年か前に来られた時に忘れていった傘がありますよ」
と言うではありませんか! なんというタイミングのよい忘れ方でしょう! スタジオの方もよく覚えていてくれたものです。傘を受け取ると雨の中を爽快に帰りました。


 その時は悪いことでも、結果的に良いことに結びつくことがあるんですね。振り返ってみると、「あのことがあったから、これがあるんだなあ」と納得することが意外に多い。悪いことが起こっても、ゆったりかまえて、なが〜い目でみるようにしようっと。



no.45_11.01.25
傘がない!


 月に1回、京都のスペインバー「SESAMO」でアコーディオンの生演奏をしています。その日は雨降りだったけど、給料日直後のせいかお客さんがいっぱいでした。久しぶりの友達が来てくれて、喋っていたらもう日付が変わる時間。帰ろうとしたら僕の傘がない! 誰か間違えて僕の傘を持って行ったようです。よくある傘なので酔っていたら間違えるのも仕方ない。
 実は変な話、傘がなくなってほっとした気持ちが少しあったのです。自分の持ち物の中で、傘ほど放置(傘立てに置く)するものはないなぁと思っていました。今、この傘立てに傘を置いたら誰かが持っていくかも、と毎回思いながらお別れの気持ちを込めて傘立てに立てるのです。そして、傘立てに僕の傘が残っていた時、再会の喜びを感じるのです。しかし、とうとうその時が来たのです! でも大丈夫。お別れは済ましていますから。
 一期一会ですね。



no.44_10.12.05
実はエレクトーンが弾きたかった

 僕は4歳からピアノ教室に通い始めましたが、実はエレクトーンが弾きたかったのです。エレクトーンにはたくさんのスイッチやレバーがついていますね。飛行機の操縦席のようで、そのスイッチ類を操作することにあこがれていたのです。
 親に「エレクトーンが弾きたい」と言うと、さっそく音楽教室に連れて行ってくれました。その教室にはあこがれのエレクトーンがありました。僕は椅子に座り、夢中でスイッチやレバーを動かしました。
 先生が母親に話しています。
「このエレクトーンは壊れているのです」
「今はエレクトーン教室はやっていないのです」
「ピアノはどうですか?」
 結局、僕はピアノを習うことになりました。ピアノにはスイッチ類はありません。エレクトーン(のスイッチ類)への情熱をどのようにピアノへおさめたのか、よく覚えていないのですが、「まあ、いいか」って感じだったと思います。今の僕はピアノが大好きで、ピアノを習ってよかったと思います。振り返ってみて、音楽教室のエレクトーンが壊れていてよかったなと思います。

 人生において自分の思い通りにいかないことがありますね。でも、「まあ、いいか」と思って違う道を進んでみると、また面白いことに出会えるようです。



no.43_10.11.03
うたうピアニカ


 2010年11月3日、新谷キヨシ1stソロアルバム「うたうピアニカ」を発売しました。
 僕がピアニカを吹き始めたきっかけは、「しんどいなあ」からでした。ピアニカを始める前はピアノとアコーディオンを弾いていました。僕のアコーディオンは10kgくらいあって、持ち運びにしんどい思い(アコーディオン奏者の方、ゴメンナサイ)をしていました。家で練習していた時、ふとピアニカに持ち替えてみると、音域も音量もカバーしているではありませんか! これは代用できる! と思いました。
 そういった優柔不断な気持ちでピアニカに持ち替えたのですが、ピアニカの奥深い表現力を発見しました。音楽の一番の表現方法はやはり人の歌声ですね。どの楽器も歌声にはかないません。ピアニカは息でコントロールする楽器です。だから歌うようにメロディを演奏できます。鍵盤楽器の中で一番、歌声に近い楽器なのです! 「ピアノは楽器の王様」と言いますが、「ピアニカは鍵盤楽器のメロディの王様」です。
 ピアニカで作曲するようになって、メロディが生き生きとしてきました。それまでは息つぎを意識しないメロディを書いていましたが、息つぎによってメロディが歌声に近づきました。「音楽は歌うことが大切」ということをピアニカが教えてくれました。
 ピアニカは歌います。存分にピアニカで歌いました。だから「うたうピアニカ」です。




no.42_10.09.18

プリンターこわれる

 去年の年末にパソコンが壊れて、今月はプリンターが壊れました。愛情を持ってモノに接していれば、モノはそれに応えてくれます。そして、いよいよという時には壊れる時期まで考えてくれているようです。
 今年はソロアルバムの音源確認のため、レコーディングスタジオから大容量データのダウンロードが頻繁にありました。前のパソコンが壊れてなくても、能力的に限界だったのです。以前のプリンターは印刷機能だけだったので、譜面コピーはコンビニまで行っていました。譜面を送る時はFAXを使っていましたが、最近ではFAXを持たずにパソコンを使ってPDF(電子データ)で送受信するミュージシャンが増えてきました。だからマネージャーへFAXして、マネージャーにPDF化してもらってメールするという手間を取っていました。メンドクサイ…。今回買ったプリンターには印刷・コピー・スキャナの機能があり、すべて自宅でできるようになったのです。ヤッター!
 コピーでコンビニに行かなくなったので、お菓子の誘惑もなくなりました。



no.41_10.08.08
忘れる


 人生の先輩から「覚えることは努力でなんとかなるけれど、忘れることは努力しても無理だ」と言われました。なるほどその通りです。子供の頃、テスト前に頑張って覚えましたね。漢字、方程式、都道府県、英単語・・・。でも、いやなことは忘れようと思っても忘れられません。
 でも、僕は本当に何でもかんでも忘れます。楽しかったことも辛かったことも平等に忘れるのです。初対面の人の顔は1ヵ月で忘れるし、名前は1週間で忘れる。春が過ぎて夏が来た時、1年前に自分が着ていた夏の服が思い出せない。自分の夏の服を見て、「そうそう、これこれ」てな感じ。これを毎年各シーズンやっているのです。演奏活動が忙しくて、作曲作業の時間が取れない時期がありました。久しぶりに作曲でもしようかな、と思ってピアノに向った時、「あれ作曲ってどうするんだっけ???」って状態に。もちろん次の瞬間にはメロディが生まれていましたが、何十年も無意識に作曲してきた自分がそんな状態になって、思わず笑ってしまいました。
 何十年も生きていると、ほとんどのことが繰り返しで既に経験済みのことです。初めての体験なんてほとんどありません。でも忘れることによって初体験のように新鮮でいられます。忘れることはとても面白いことです。これからも忘れることを楽しみたいと思います。



no.40_10.07.03
ボロディン

 前回「一番好きな曲はボロディンの弦楽四重奏曲第2番です」と書きました。一番どころかダントツの一番なのです。ふと音楽が聴きたくなって「何を聴こうかなぁ」とCDを眺めます。今の気分にブラームスは重いし、ベートーヴェンは大きすぎるし、シューマンは沈む、といってモーツァルトでもない、ショパンって感じでもないし…。百枚くらいのCDを前に途方にくれます。自分が好きで買ったCDなのに今の気持ちに合うものが1枚もないのです。でも今はボロディンの弦楽四重奏曲第2番があります。いつでも聴きたい曲、それがダントツの一番です!
 ボロディンについて調べてみました。ボロディンは作曲家であると同時に優れた化学者でもありました。いえいえ、化学者が本業で作曲は休みの日に行っていた「日曜日の作曲家」だったのです。多忙な時期は日曜日すら創作活動の時間が取れず、「夏休みの作曲家」にまでなっていたそうです。チャイコフスキーは、音楽を本業にしないボロディンに対して「音楽界の損失」と言ったそうです。また、逆に化学界では音楽をやめて化学に専念すべきと、ボロディンに忠告していたらしいのです。友人であり作曲家のリムスキー=コルサコフは、そんなボロディンを見るに見かねて作曲作業の手伝いをし、ボロディンの死後は未完成曲を仕上げました。ボロディンの代表曲であるオペラ「イーゴリ公」はリムスキー=コルサコフ達によって完成したのです。この「イーゴリ公」の中で一番有名な曲に「ダッタン人の踊り」があります。この曲は高校の音楽の授業で聴いて、ゾッコン惚れた曲なのでした。この時もダントツの衝撃を受けたのを覚えています。やはり僕にとってボロディンがダントツな存在なんですね。
 「歴史に名を残す作曲家ボロディンは音楽が本業でなかった」なんだか勇気をもらえた気がします。時間がなくても自分のやりたいことは実現できるんですね。





no.39_10.05.23

一番好きな曲


 「一番好きな曲は何ですか?」と聞かれて答えるのは難しいですね。好きな曲はたくさんあっても、その中から1曲だけ選ぶのは本当に難しい。
 僕はクラシック好きなので、クラシックから選曲します。ブラームスの4つの交響曲はそれぞれに個性があって大好き。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンのピアノソナタ第32番、シューマンの子供の情景、……。次から次へと曲が浮かびます。
 でも、この間「1番はこれ!」という曲に出会いました。ボロディンの弦楽四重奏曲第2番です。たまたま車を運転中にラジオから流れてきたのです。「なんという愛にあふれたメロディなんだろう」その瞬間、一目惚れ、ならぬ一聴惚れです。さっそくCDを買って聴きました。この曲は、ボロディンが妻への愛の告白20周年を記念して作った曲だったのです。ロマンチストですねえ。僕も一聴惚れしてもらえるような曲を作りたいなあ〜。




no.38_10.04.25

買ってしまった!

  アニメ「アルプスの少女ハイジ」全52話DVD13枚組セットを買ってしまった! 「アルプスの少女ハイジ」は35周年を迎え、そのメモリアルボックスを発売していたので思わず買ってしまったのです。ハイジといえば、アルムの山々、干草のベッド、チーズをのせたパン…、印象的なシーンがたくさんありますね。
 絵本雑誌「MOE」の2009年6月号にハイジ特集があり、興味深いエピソードが載っていました。ハイジは日本で初めて現地ロケをしたアニメだそうです。放送当時、もちろん子供だった僕にはそのリアリティは分からなかったはずですが、何かとても「本当のモノ」という印象をハイジから感じていたのを覚えています。また、「少女を主人公にしたアニメはヒットしない」と言われていたらしく、企画段階で大反対を受けたそうです。それでもスタッフの強い熱意で制作されて大ヒットしました。そしてハイジは歴史に残るアニメとなったのです。才能ある制作者と理解あるプロデューサーでこのアニメはできたのです。
 さて、52話とは大変なボリュームです。もし一気に見るとすると1話25分として、
 25分 × 52話 = 1,300分  約22時間!
 無理です! っていうか無理に一気に見る必要はないですが…。で、DVDボックスに誓いました。「一日一話!」。…でもダメでした。いきなり初日より2話見てしまった…。





no.37_10.03.21
お疲れさま


 自宅のパソコンは2000年に買ったので、2010年の今年は十周年を迎える予定でした。しかし、2009年の年末にとうとうダメになってしまいました。OSはWindows98、文書ソフトはOffice2000のまま9年間使っていました。今、OSはWindows7ですし、文書ソフトはOffice2007です。Windows98やOffice2000は一昔前の感がありますね。
 9年も使っていると、色々と問題が発生します。送られてきた文書が文字化けで読めなかったり(Office2007の文書は以前のバージョンでは開かない)、音源が聴けなかったり、インターネットで固まること日常茶飯事(数年前に回線を光にしたけれどパソコン能力がついていかず…)。でも、頑張って工夫して使っていました。9年間使ったから天寿を全うしたと思ってもいいですよね。パソコン君、本当にお疲れさまでした! 早速、年が明けた2010年1月2日にパソコンを買いました。サクサク動きます。インターネットで固まりません。NEWパソコン君、よろしく!


 人は大きく分けて2つのタイプがあるようです。とにかく新しいものが出たらそれを手に入れるタイプ。今あるモノを出来る限り長く使い続けるタイプ。僕はもちろん後者のタイプです。僕のようなタイプは、現状に満足してしまって新しいことに挑戦しなくなる傾向があるようです。同じモノを使い続けながらも、変化していく心と生活を実現したいです!



no.36_10.02.13
少し離れて

 ただいまソロアルバムのレコーディング中です。
 はじめにきよしで5枚、ウィルキンソン・ブラザーズで2枚のアルバムを出しているので、8枚目にして新谷キヨシソロアルバムです。自分でピアノを弾いて、自分でピアニカを吹く。自分が伴奏した音に重ね録りしていくのは楽しい作業です。もちろんゲストミュージシャンにも手伝ってもらって、多彩なアルバムに仕上げます。
 初めてスタジオでレコーディングしたのは、ウィルキンソン・ブラザーズのファーストアルバムで10年以上も前になります。その1曲目の録音では、緊張のあまり心臓のドキドキ音まで録音されるんじゃないかと心配するくらいでした。それが今では自由自在にレコーディングを楽しめるまでになりました。
 平日は会社勤めがあるので、週末を使ってのレコーディングです。ゆっくりですが着実に進んでいます。逆にこのペースの方が、少し離れたところから自分自身を見つめられて良いようです。録音作業とは自分自身を見つめる作業でもあります。自分のことは近すぎて見えないことが多々あります。何においても少し離れたところから客観的に見ることは大切ですね。





no.35_09.12.13
忙しい


 「心を亡ぼす」と書いて「忙しい」と読む。
 よく言われます。だから「忙しい」と言わず「やるべきことがたくさんあります」と言うようにしたいですね。
 色々なことが一度に押し寄せてきて、1分1秒を争うように作業をしなければならない時があります。以前なら気持ちも動作も最高速モードでやっていましたが、そんな時はミスも多く発生して余計に時間がかかったりしました。また、その日の予定作業がなんとか完了しても、翌日はどっと疲れてほとんど作業が進まなかったりします。まさに「急がば回れ」ですね。
 最近は忙しくても落ち着いて作業するようにしました。作業も通常モードで行い、休憩も定期的に取るようにしました。その休憩中の出来事。コーヒーを一口飲んでテーブルに置く時、ゆっくり置いたつもりが「ガン!」と大きな音をたてて置いてしまったのです。自分としては落ち着いて置いたつもりが、ぞんざいに置いてしまった。この時、ハッと気が付いたのです。落ち着いて作業をしても心があせっていてはだめなのだ。心は動作を支配しているのだ。このことがあって以来、どんな時も心から落ち着くようにしました。難しいんだけどね。




no.34_09.11.15
無限の不思議

 無限とはその言葉の通り「限りが無い」ということ。この世の中で僕らが目にするものは有限なものばかりです。例えば、リンゴが2個ある。ギターの弦は6本だ。僕の身長は176cmだ。……
 では無限とはどんな世界なのだろう。数学の世界に「無限論」という学問があります。大学時代に「無限論」を勉強して、とても興味を持ちました。無限数は数字の8を横にした“∞”という記号で表記します。

有限の世界では 1+1=2 ですね。
無限の世界では ∞+1=∞ なんです。

 なんか変でしょ。1を足したのに増えていないみたい。
 カゴの中にリンゴが1個入っています。そのカゴにリンゴを1個入れたら、カゴの中のリンゴは2個ですね。でも、カゴの中にリンゴが無限個入っていて、そのカゴにリンゴを1個入れたら、カゴの中のリンゴは(無限個+1)個でなくて、無限個なのです。

無限問題をひとつ
 無限に部屋を持ったホテルがありました。部屋が無限にあるので普段は満室にならないのですが、今日は無限のお客さんが泊まっているので満室です。そこに旅人がやってきました。フロントマンは「あいにく本日は満室です」。旅人が困っていると、そこに賢者が現れました。話しを聞いた賢者は、この旅人を満室のホテルに泊める方法を教えました。さてどんな方法でしょうか?




答え
 現在、宿泊しているお客さんに、自分の部屋番号へ1を足した部屋に移動してもらいます。例えば、1号室のお客さんは2号室へ、2号室のお客さんは3号室へ、……、1000号室のお客さんは1001号室へ、……という具合にスライドしていきます。部屋は無限個あるので、どこまでもスライドできます。すると1号室が空室になるので、旅人は1号室に泊まることができました。めでたし めでたし。




no.33_09.10.12

音楽は世界共通語


 15年くらい前(だったと思う)の思い出。知り合いの喫茶店で、フランス語なまりの英語を話すスイス人(だったと思う)を紹介された。彼女はサックス奏者で、ジャズを演るために京都へ来た。彼女は伴奏してくれるミュージシャンを探していたので、僕が紹介された。
 僕は英会話が苦手だったし、彼女は日本語が喋れなかった。その上、彼女の話す英語はフランス語なまりだったのでチンプンカンプンだった。僕の限られた英単語で質問すると、彼女はよく「アドノン」と言った。最初は「アドノン」の意味が分からなかったけれど、しばらくして I don’t know.(私は知りません)がフランス語になまって「アドノン」と言っているのだと分かった。そんな状態から彼女との音楽活動は始まった。
 日常会話はほとんど通じ合えなかったけれど、音楽に関しては問題なくコミュニケーションができた。譜面を見ればそこは二人が理解できる世界。僕がイントロを弾き出す。彼女がメロディを吹き出す。サックスソロ、ピアノソロ、サックステーマ、そしてエンディング。もう1曲完成した! 1回のリハーサルで8曲くらい仕上げたと思う。
 何回かライブをいっしょに演ったが、その後は疎遠になり、音信不通になってしまった。しばらくして、彼女はまたどこかの国へ旅立ったと、知り合いから聞いた。
 彼女との音楽活動は、言葉が通じない相手でも音楽でコミュニケーションができることを実感させてくれた。僕のオリジナル曲「大陸から来た人々」を合わせた時、大陸からやって来た人々の悲しみを譜面から感じとって演奏してくれた。音楽はやはり世界共通語だ。





no.32_09.08.09
となりの芝生

 図書館の雑誌を眺めていると、それはそれはステキな本にみえる。図書館のソファーに座って本をパラパラめくる。興味をひく文章や写真が目に飛び込んでくる。その本を借り、いそいそと家に帰り、さっそく読み出す。すると図書館ではキラキラしていた文章が、まるで魔法が解けたようにつまらなく感じられた。しかし、ここであきらめずに本の中に入っていく。文章は声そのもの。愛情を持って、耳を澄まして、丹念に声を聴いていく。すると、立ちこめていた雲が切れるように、ステキな文章が浮かび上がってくる。

 となりの芝生は青くみえる。それは斜めから見るから青くみえるのであって、実際にはとなり芝生も自分の芝生も同じく青いはずだ。




no.31_09.07.03
みる


 通勤で毎日歩く道。もう数千回往復している。見慣れた風景に穴があいていた。家が取り壊されて更地になっている。はて、ここにはどんな家が建っていたのだろうか。昨日まで何度も何度も見ていたのに思い出せない…。数年前、駅前に大きなコインパーキングができた。この広い土地には以前は何があったのだろう? 全く思い出せない。
 数年前、メガネの右のつるが外れた。眼鏡屋へ修理を頼んだら、「部品の取り寄せに1週間くらいかかります」と言われた。壊れたメガネをかけてみると、意外にも左のつるだけでもかけることができた。右のつるがないから不自然であったが、なんとか1週間過ごせそうだ。次の日、会社の同僚は誰もメガネのことに触れない。気を遣って触れないようにしてくれているのか、それとも気が付いていないのか。3日が過ぎたが誰も不思議メガネについて指摘してこなかった。思いきって「メガネ、変じゃない?」って聞いてみた。「え? 何が?」と同僚は言って、しばらく僕の顔を見ている。しばらくして「なんやそれ!」と大いにウケた。誰も不思議メガネに気が付いていなかったようだ。
 こんなこともあった。10年以上前、僕はあごにワサワサとひげを生やしていた。生やし出した時はみんなに色々言われた。数年後、ひげにも飽きて剃り落とした。ひげを剃り落として半年くらい経った頃、毎日会っている会社の同僚が僕の顔を見て「おっ! ひげ剃ったんか!」と言った。

 人は、見ているようで見ていないようだ。


no.30_09.05.27
その本を買った

 とうとうその本を買ってしまった。その本はよく行く駅前の本屋に1冊だけあった。その本に気がついたのは2年くらい前になる。その本はとても興味をそそられる写真と文章で構成されていたのだが、なぜか買うところまで気持ちが動かなかった。それでもその本がとても気になるので、その本屋に寄った時には必ずその本の前に立ち、まだ売れていないことを確認した後、数ページ眺めていた。そんなことを何度も繰り返していたことになる。こうなるとその動作が儀式のようにパターン化されて日常となり、その本を買うということがとても現実離れした行為のように思えてくるのである。
 しかし、なぜその日に限ってその本を買ってしまったのか。その日は人身事故で電車が30分以上遅れていたので、時間をつぶすためにその本屋に寄った。人身事故という予定外の出来事によって発生した30分の隙間が、僕を予定外の行動へ導いたのかもしれない。レジで支払いをしながら僕はドキドキしていた。2年以上動かなかった本を僕は連れ出してしまった。囚われの愛する人を助け出したような気もするし、解いてはいけない封印を解いてしまったような気もする。本屋を出ても落ちつかなかった。この本と一緒に歩いている不思議。きっとこの本はこの旅立ちを喜んでくれているはずだ。
 家に帰り、ゆっくりとその本を読んだ。100ページばかりの写真と文章は1時間くらいで読めてしまった。この本はこれからも何度も何度も読むだろう。この本を買ってよかった。この本は、三谷龍二さんが書かれた「木の匙」 定価1,600円。

 パターン化された日常は、自分の世界を狭くしてしまう。繰り返しの日常から脱出して、新しい世界へ飛び込む勇気を持ちたい。

 



no.29_09.05.07

夢か・・・


 今、僕の立っている所は暗い。しばらくじっとしていると、目の前がぼんやり明るくなってきた。そのぼんやり明るい所へ歩いて行くと、椅子が置いてあったので腰をかけた。僕のいる所はぼんやり明るいのに、その周りはとても暗い。どこからか音楽が聴こえてきた。すると急に目もくらむほど明るくなって、その後は青色や赤色や緑色の光が目くるめく乱舞している。僕はプラスチックの箱を持っている。その箱には白と黒のボタンがたくさんついている。「今だ!」と思った瞬間、その箱に息を吹きかけ白いボタンを押した。
 僕の演奏している音は僕の楽器からではなくどこか遠い所から聴こえるようだ。僕が演奏しているのか、誰かの演奏に合わせて楽器を動かしているのか分からなくなってくる。思わず「演奏をやめてしまおうか。そうすればはっきりする」と考えたりするけれど怖くてできない。たくさんの人がこちらを見ているような気もするし、誰もいない大平原の一枚岩の上にいるような気もする。
 朝、目が覚める。いつも通り歯を磨く、顔を洗う、朝食をとる。通勤電車に乗って会社に入り、自分の席へ落ち着く。しばらくして始業の時間がくると仕事を始め出す。
 先週、作成したシステム改善案を会議で説明している。
「今回の仕様変更は期末処理対策ですが、月次処理にも有効となります」
 出席者の数人がうなずく。
「何か意見や質問はありませんか?」
 特に意見や質問もなく、僕のシステム改善案は承認された。明日からシステム設計フェーズに入ってゆく予定だ。席に戻ってメールのチェックをする。
 会社で仕事をしている自分には現実感がある。それに比べて昨日のコンサートには現実感がない。本当に昨日、僕はコンサートをしたのだろうか。何か夢でも見ていたような気がする。コンサートは夢のような体験だ。




no.28_09.03.25

ベストはやめよう

 中学の時、ハードロックが大好きな友達がいました。特に「KISS」というバンドが大好きで、全アルバムをレコードで持っていました。その友達は、頼んでもいないのに「これ聞けや」と言ってレコードから録音したカセットテープを僕にくれました。その友達の影響でハードロックを聴くようになりました。
 高校の時もカセットテープへ録音してくれる友達がいました。その友達は「TOTO」というバンドが大好きで、アルバムが発売されるたびにカセットテープに録音してくれます。僕も「TOTO」が大好きになり、テープが伸びるくらいに(レコードでいえば擦り切れるくらいに)聴きこんでいました。実際にテープが伸びて音がぬぼーとなったので、再録音してもらったこともありました。TOTOが来日した時はその友達とコンサートに行ったし、いっしょにバンドを組んでTOTOの曲を練習しました。どきどきしながらの初スタジオ練習。リズムが合わずに演奏がばらばらだったけれど、一所懸命で楽しかったです。
 この間、CDショップでTOTOのベストアルバムを見つけました。最近はTOTOもすっかり聴かなくなっていたのでとても懐かしかった。高校時代に聴きたおしたカセットテープはもう音が悪いのでCDのきれいな音で聴いてみたい、そう思って買ってみました。
 家に帰りさっそくCDを聴きました。1曲目「Hold The Line」が流れました。この曲はバンドでコピーした曲です。懐かしさがこみ上げてきました。ここまではよかったのです。2曲目「Rosanna」が流れ出した途端、いいようのない違和感が僕を包みました。1曲目の「Hold The Line」はファーストアルバムに入っており、次の曲は「Angela」です。だから「Hold The Line」が終わった瞬間に僕の体は「Angela」を待っていたのです。頭の中で「Angela」が先行して流れていたのです。「Hold The Line」の次は「Angela」以外ありえないのです! それが全然違う曲が流れ出したのですから頭の中は???状態です。以降も同じでした。この違和感を打ち消さなければ! 友達がダビングしてくれたカセットを聴き直しました。ようやく落ちついた僕は、「聴きこんだアルバムのベスト版は買わないようにしよう」と心に誓いました。

 


no.27_09.03.03

バスに乗って

 小学校、中学校は徒歩で通っていました。高校は自転車で、大学は原付バイクで通っていました。会社へはバスと電車で通勤していました。会社勤めで初めて公共交通機関を利用することになり、なんだか社会人って感じがしました。
 バスは時刻通り運行しないという難点がありますね。年に数回、バスが全然来なくて遅刻しそうになっていました。今の家に移り住んでからは電車だけで通えるようになりました。電車は時刻通り運行しているので本当に便利です。
 先日、久しぶりにバスに乗りました。最近のバスはとても乗り心地がいいですね。サスペンションがよいせいか、以前のようにガタガタ揺れません。シートも座り心地がいい。新しくてきれいです。たまたま低床タイプのバスだったので乗り降りも快適でした。京都駅から三条河原町まで乗りました。京都市のメインストリート、河原町をバスは走りぬけます。普段歩いている歩道やビル群を眺めながらバスに揺られていると、なんだか家に靴で上がりこんでいるようなこそばゆい感じがしました。バスは街が近くに感じられる魅力的な乗り物ですね。





no.26_09.02.01

貸してもいいけど残ったら返してね

 今回は数のお話し。
 3人息子を持つ父親が亡くなりました。父親の遺言にはこのように書いてありました。 「馬7頭は、長男が2分の1、次男が4分の1、三男が8分の1に分けなさい」 3人の息子は困りました。数字の7は2でも4でも8でも割り切れません。
 そこに馬に乗った賢者が現れました。話しを聞いた賢者は「私にまかせなさい」と言いました。賢者はまず自分の馬を3人の息子に貸しました。馬は8頭になりました。長男は2分の1の4頭を、次男は4分の1の2頭を、三男は8分の1の1頭を取りました。
 8−4−2−1=1
1頭残ったので賢者は貸していた1頭を返してもらいました。賢者のおかげでなかよく馬を分けることができました。めでたし めでたし。

 この遺言のポイントは3人の取り分を合わせても8分の7、つまり100%にならないというところにあります。7頭の2分の1は3.5頭ですから長男が取った4頭は取りすぎです。でも賢者はそれを分かったうえで分配したのでしょう。問題が発生しても賢者のように解決できる知識と知恵を持ちたいですね。

 


no.25_08.12.25

しみじみと

 初めて車を運転した時の感動は、原付バイクと違っていました。原付バイクの感動はいきなり押し寄せてくるものだったけれど、車の場合はじわじわとくる感動でした。
 それは初運転までのプロセスの違いにあります。原付バイクは免許を取ったら即運転できます。車はまず教習場から始まります。入学式のようなものがあって「ああ、これから車を運転するのだなあ」とワクワク。教習場での初運転でドキドキ。いよいよ路上教習でワクワク。晴れて免許を取得し、初ドライブでドキドキ。しばらくして気持ちが落ちついたら、しみじみと「ああ、僕も車を運転するまでになったなあ。事故を起こさないように安全運転」と思いました。  車の運転歴は24年になりましたが、このしみじみとした感情は、今もふとした時に沸き起こります。大通りを走っている時、ウインカーを出して大きな交差点を右折しようとする時、山道を走っている時、高速道路を飛ばしている時、色々な時に初ドライブの感情がよみがえります。
 車で出かける時は、「今日も無事帰れますように」と願います。家に帰り着いた時は、「今日も無事に運転できました」と感謝します。「初心、忘るべからず」ですね。


no.24_08.10.27
風になる

 自転車に初めて乗れた時のことは忘れてしまったけれど、原付バイクに初めて乗った時のことは鮮明に思い出せます。
 大学生の時に原付バイクの免許を取りました。免許試験場で試験に合格すると、簡単な講習の後で免許証をもらいました。ペーパーテストにパスするだけでバイクに乗れるのです。「え? ほんとにこれでバイクに乗っていいの?」と不安になったのを覚えています。
 数日後、注文しておいたバイクが届きました。僕のバイク…。今まで別世界だったバイクというものが急に生々しく見えました。大人の仲間入りをしたような気持ち。
 バイクにまたがる。キーを入れてエンジンを始動する。ブルブルブルと体に振動が伝わる。スロットを回す。その瞬間、バイクがビュンと走り出しました。もっとスロットを回す。加速する。加速する。メーターは一気に30km。顔に体に風を受ける。車と同じ速度で自分も走っている。走っているバイクは僕が運転しているのだ。もうこのままどこまでも走っていける! ワクワクして世界をつかんだように風になった日でした。

 

no.23_08.10.02
しあわせ帳

 新聞を読んでいて、ふと目にとまった記事がありました。ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの記事です。それはこのような内容でした。「私は、毎日その日の出来事から3つの『感謝すべきこと』を手帳に書き記しています。何も素晴らしいことばかりでなくていいのです。洗濯物が気持ちよく乾いたとか平凡なことでいいのです」。
 以前、このコラムで「いいことは蒸発しやすく、よくないことは凝固しやすい。だから、いいことがあった日のことを紛失しないように注意しよう」と書きました。そう心がけていてもついつい忘れてしまいます。渡辺和子さんの記事を読んだ時、「これだ!」と思いました。ノートを一冊用意して「しあわせ帳」と名付けました。
 始めてみるとなかなか毎日は書けませんが、書ける時にまとめて書いています。書き始めると3つどころか5コでも10コでも書けて面白いです。ひとつのことを書くとそれに連鎖していくつも出てくるのです。しあわせの連鎖反応ですね。書くことによって忘れていた色々なことが思い出されます。「ああ、一日はこんなにたくさんのことでできているのだなあ」と感心します。
 
継続するポイントは、1日1回必ず目にする場所にノートを置いておくこと。ノートの表紙にはでかでかと「しあわせ帳」と書きます。派手なノートが良いようです。僕のノートはムーミンに出てくるミーが表紙です。ノートを見た時、ミーに「ねえ、あんた。書きなさいよお」って言われているようです。






no.22_08.09.08

いただきます

 ごはんを食べる時、「いただきます」って言いますね。この意味は、ごはんを作ってくれた人に感謝する言葉だと思っていました。もちろんそういった意味もあるのですが、本当は「お命を頂戴します」という意味だそうです。  自分が生きるためには、肉や魚といった動物、米や野菜といった植物の命を奪わなければなりません。その動物や植物が犠牲になることで自分を生かしてもらっているのです。このことに感謝し、そのお礼にお返しをすることが必要だと書いてありました。
 お店でお肉を買ったらお金を払いますね。このお金というやつが曲者です。「お金を払ったからお肉は自分のものだ」と当たり前のように考えてしまいます。お肉をもらったお礼にお金を渡したと考えてしまうのです。しかし、お金は人間社会にだけ通用するものです。お礼をしなければならないのは、お店の人でなくお肉となってくれた牛なのです。死んだ牛にお金をあげても喜びません。生きている牛にお金をあげても感謝されません。人間以外にとってお金はまったく意味を持たないのです。
 
死んでくれた牛によって自分は生かされた。このお礼はどこにお返しすればいいのでしょうか。地球上の動物や植物は生まれて死ぬの繰り返しを行っています。だから地球上の誰かにお返しをすればいいのです。お返しをする相手は、となりの人かもしれないし、さっき道で出会ったネコかもしれないし、公園の木かもしれない。今日もごはんを食べたら地球の生き物達が喜ぶことをしてあげましょう。

 




no.21_08.08.09

図書館大好き

 自宅から歩いて5分のところに市立図書館があります。図書館好きの僕はよく利用します。本棚に並んだ本達は膨大な文字を蓄えて読まれる日を待っています。本達に「読んでくれ。読んでくれ」とせがまれている感じ。その期待を感じながらぶらぶら背表紙を眺めます。「今日はこの本を借りよう」。選ばれた本の喜び、選ばれなかった本の落胆。静かな図書館がざわめき立つようです。
 図書館の膨大な本達を眺めていると嬉しくなります。別荘に何万冊も本を置いているようなものでしょ。そのうえ整理整頓までしてくれる管理人さんまでいて、探したい本はコンピューターで検索できるんですからね!
 もうひとつ図書館が好きな理由があります。僕は常々必要最小限のモノに囲まれて暮らしたいと思っています。忘れっぽい僕は普段使わないモノのことをすぐ忘れてしまいます。だからそのモノたちへの気配りができなくなります。何度も繰り返し読む本は手元に置きたいと思うけれど、そうでない本は手元に置きたくないのです。だから貸りて読んで返せる図書館が大好きなのです。公共のモノを利用することはエコにもなるしね。本屋さんには悪いけれど…。





no.20_08.07.06
長い付き合い

 一番長く使っているモノは何だろう。ふとそんなことを考えて、僕のまわりのモノ達を思い浮かべてみた。

 1位は「ツメ切り」だ。子供の頃から使っているモノだから40年くらいの付き合いになる。このツメ切りは両親が新婚旅行で買ったモノで、僕が生まれる前からウチで使っていた。今でも切れ味バツグンでまだまだ現役。これからもずっとお世話になります。
 2位は「キーホルダー」。二十歳の夏に買ったから23年間使っていることになる。たまたま入った雑貨屋さんでふと目にしたキーホルダー。一瞬で気に入って即レジへ。瞬間買いした一品。なくさない限り一生使うだろう。
 3位は「定期入れ」。就職祝いに妹が買ってくれた。サイフと定期入れがセットになったものだったけれど、サイフは数年でだめになった。21年間使ってきた定期入れは、かなりくたびれてきたけれどまだまだ健在。

 他にも十年以上使っているモノがたくさんある。ここにあることを当たり前と思わず、これからもモノ達との関係を大切に心をこめて使っていきたい。




no.19_07.01.29

流れる雲

 子供の頃、流れる雲をよく眺めていた。放課後、校庭に寝っころがって校舎の向こうに流れる雲を眺めていた。じーっと流れる雲を見ていると、ある瞬間に動いていた雲がぴたっと止まって校舎が逆の方へ動いてゆくように見え始める。学校自体が飛行船になって空を飛んでいるような不思議な感覚。この感覚が大好きで長い時間、空を眺めていた。大人になってからも見晴らしのよい場所があると、流れる雲を眺めてこの不思議な感覚を楽しんでいる。
 僕らはみんな地球という大きな乗物に暮らしている。人間に比べて地球が大きすぎるから、実は限りがあるのに無限のように考えてしまいがちだ。テレビや車などの人間が作ったと思っているあらゆるモノは地球上の何かを組み合わせただけだし、捨てたゴミは地球上の別の場所へ移動しているだけ。
 流れる雲を眺めている時の飛行船に乗っている感覚は「限りある地球」ということを思い出させてくれる。限りある地球の中で未来を創るには、すべての生き物やモノが「生まれる」「死ぬ」のきれいな繰り返しに乗らなければと思った。




no.18_06.11.11

自分をほめる

 2006年10月は最大級の忙しさでした。月曜から金曜までは会社勤めがあるので、土日と祝日がライブとなります。10月の土日祝のほとんどがライブとなったのです。

 7日は三田水上コンサート。8日は京都大学でのボロフェスタ。9日は堺市コンサートとFM802に生出演。
14日は京都駅ビルで昼の11時から3ステージ。その後、SESAMOで夜中の12時まで3ステージ。翌日の15日はまた京都駅ビルで昼の11時から3ステージでした。
 21日は能楽会館でコンサート。ゲストに押尾コータローさんを迎えました。22日は奈良県五條市でMBSラジオの公開収録。
 29日は佐川美術館でのピアノコンサート「絵を聴く」。久々のピアノソロで、途中でヴァイオリン奏者の濱名まり絵さんをゲストに迎えました。有元利夫さんの絵から受けた印象で作った7曲を演奏しました。

 週末は本番なので、作曲、編曲、練習は平日の夜になります。この10月は平日も一日一日がやるべきスケジュールで埋まっていて、一日たりとも余裕のない日々でした。平日の準備と週末の本番、この目まぐるしい繰返しをこなしながら満足のゆく結果が出せたと思います。自分をほめてあげました。

 


no.17_06.06.30
覚える

 二十歳の頃までエレベーターとエスカレーターが覚えられませんでした。エレベーターとエスカレーターの名前は覚えているのだけれど、箱が上下する方がエレベーターで、階段が動く方がエスカレーターという事が覚えられなかったのです。
 さすがに二十歳になってそれはまずいだろうと思って、なんとか覚えられないか思案しました。モノは連想で覚えるのが一番です。何かいい連想の材料はないかなと考えていたら、良いアイデアが浮かびました。階段は箱より長いのでその名前の文字も長い(文字が多い)と覚えた訳です。つまり、階段は「エスカレーター」の7文字、箱は「エレベーター」の6文字というわけです。これでようやく人並みに「エレベーターで行こう」とか言えるようになりました。(それでも家族が言うには今でもよく間違えるらしい…)

 子供の頃、「左手はお茶わんを持つ手。右手はお箸を持つ手」と教わりました。これはすぐ覚えられましたが、ご飯を食べるしぐさをしないと左右がわからないのです。こちらもさすがに中学生になった時、かっこ悪いなと思って、頭の中でご飯を食べるイメージをするようにしました。そのせいで今でも「右」と言われると「お箸」、「左」と言われると「お茶わん」をイメージしてしまいます。

 最近ようやく覚えたものに、ステージで使う用語の「上手」(かみて)「下手」(しもて)があります。上手はステージに向かって右側、下手はステージに向かって左側です。リハーサルの時に「では登場は下手から」などと言われて、えーっと、下手…下手…どっちだっけ? となっていました。これは「はじめにきよし」が解決してくれました。「はじめにきよし」を縦書きにすると「はじめ」は上なのでハヂメ側が上手、その逆のキヨシ側が下手となるわけです。みなさんも上手、下手に迷ったら「はじめにきよし」を思い出してくださいね。

 

no.16_06.04.09
ノック式ボールペン

 ノック式ボールペンって凄いぞ! 一回押したらペン先が出てきて、もう一回押したらペン先が引っ込む。考えてみると不思議だと思いませんか? どういった仕組みになっているのか、中の構造がよく見える透明のボールペンをじっくり観察してみました。
 すると…「なるほど、こういう仕組みだったのか!」これはとてもじゃないけど文章や図では説明できません。みなさんもじっくり観察してこの感動を体験して下さい。
 世の中には、今や当たり前になっているけれど、実は凄いことを実現している人がいます。そんな人になりたいですね。

 

no.15_06.02.24
月イチの夜遊び

 僕はお酒がまったく飲めない。そう言うと、「人生の半分の出会いと楽しみを捨てているようなものだな」と返された。半分かどうかは分からないけれど、そういった機会を失ってきたのだろうと思う。
 大人びたBARや面白そうな居酒屋を雑誌で見ると、「ああ、自分には無縁な世界だな」と少しくやしい思いをする。BARのカウンターに腰掛けて「ウイスキーを。ロックで」なんて言ってみたい。カウンター席で、たまたま隣になった見知らぬ人と会話を楽しんでみたい。お店にはノンアルコールのメニューもあるけれど、気後れしてその魅力的な空間に踏み込む事ができない。
 しかし、月に1回だけそんな疑似体験ができる場所が僕にはある。それがスペインBAR「SESAMO」。ここへはミュージシャンとしてアコーディオンの生演奏に行く。BARのカウンターに腰掛けてグラスを持つしぐさをすると、ウィルキンソンのジンジャーエールを出してくれる。それをちびちび飲みながら、アコーディオンを聴きに来てくれたお客さんとお喋りをする。そして、いよいよ9時になると1回目の演奏を始める。控え室がないから、演奏と演奏の間の休憩時間もお客さんと喋りながらジンジャーエールを飲んでいる。30分3ステージの演奏は夜12時前に終わる。お店は夜中の2時まで営業しているから、今度は柚子ジュースを飲みながら閉店頃までだらだらしている。
 SESAMOの日は僕の夜遊び日だ。

 

no.14_06.01.11
まだまだ

 本厄の年、2005年は大きな災いもなく、ゆるゆると終わりました。NHKのテレビ番組「ゆく年くる年」は毎年見ています。除夜の鐘の生中継を見ていると、「ああ、今年も終わりか」としみじみ暮れてゆく年を感じます。今回は大好きな比叡山延暦寺の根本中堂から生中継がありました。除夜の鐘、秘仏の公開、鬼を退治する僧の寸劇などが放送されていました。
 延暦寺をネットで調べてみますと、今年は天台宗開宗千二百年の年で、御本尊薬師如来御開扉だけでなく他の厨子御開帳もされていると書いてありました。非公開の御本尊は1988年や2001年に公開されているが、他の厨子御開帳は記録にないということでした。「これは行かねば!」と思い、1月8日に行ってきました。前日の7日はひどい雪で延暦寺へ向かうドライブウェイも通行止めになっていましたが、8日はおだやかな天気でした。それでも比叡山の山頂付近に位置する延暦寺ですから、山に登るにつれて雪がちらついてきます。寺の中では50センチくらい雪が積もっていました。雪の上を歩くと、ぎゅっ!ぎゅっ! この音と感触が楽しい。
 前日の雪のせいか参拝客は少なかった。御本尊のある根本中堂では参拝客が数人しかいなくて、お坊さんの読経の中、ピンとはりつめた空気がありました。ゆっくりと仏様をお参りすることができました。さてお堂を出ようとした時、大勢の参拝客がざわめきと共に入ってきたのです。先ほどの静けさは打ち消され、止まっていた時間が動き出したようです。時間の流れの中で、こういったことは起こりますね。この素晴らしい時間にひょいと入れたことを感謝しました。
 ところで、年が明けて本厄が終わったと思っていたら、実は節分の頃までが区切りだそうです。最近知りました。まだまだ気を抜けません。


比叡山延暦寺のホームページ
http://www.hieizan.or.jp/

 

no.13_05.10.01
厄年

 1年の4分の3が過ぎました。年の始め、「今年の抱負は何ですか?」と尋ねられて、「今年は厄年です。しかも本厄なので、一日一日が平穏無事に暮らせるよう、365日をカウントダウンしてゆきます」と答えると、「新年早々、後ろ向きですねえ」と笑われてしまった。
 家族の知り合いに僕と同じ本厄に人がいました。たまたま厄年の話しになった時、その人は「そんなの関係ない」と言い切ったそうです。その数日後、その方はバイク事故で入院しました。逆に厄年のことを気にしすぎると、気持ちが硬直して余計に災難を招きそうです。「怖がらず、あなどらず」が良いようですね。

 しかし、今年は例年になくお医者さんのお世話になってます。今まで春夏に風邪をひいたことはなかったのですが、5月に風邪をひいてしまいました。この時期の風邪は治りにくくて、完治するのに1ヵ月くらいかかりました。9月は腰痛になりました。腰痛は3年に1回くらいなりますが、今回は特にひどかった。寝返りも打てない日が3日間続き、生まれて初めて鍼灸院に行きました。初体験のハリにどきどきしましたが、痛みはほとんどありませんでした。打ったあたりがじーんとしてきます。また不思議なことに、打っている所とは違う所が反応するのです。首筋に打つと目玉がじーん。ふくらはぎに打つと足の指がぴくっ。操り人形になった感じ。その2日後、けろっと痛みがとれたのです。鍼灸に感謝!

 まあ風邪や腰痛で厄落としができていればこれ幸いです。あと4分の1。怖がらず、あなどらず、怖がらず、あなどらず……。

 


no.12_05.07.18

伸び縮み

「あれ。この時計、止まってる?」
 と思って時計を眺めていると、しばらくして秒針がぴょこんと動き出した。実際、時計は壊れてなくて、秒針は同じリズムで正しく時を刻んでいた。それなのに秒針が止まっていたように見えた。そんな経験はありませんか? 僕はたまに経験します。この不思議な感覚はなんでしょうか?

 楽しい時間はあっという間に過ぎます。大好きな人といると「あ! もうこんなに時間が過ぎている」と驚きます。逆につまらない時間は長く感じます。学生の頃の退屈で眠い授業は、永遠に終わりが来ないように感じました。不思議な時間感覚は他にもあります。楽しみにしている週末のデートは、ゆっくりゆっくり近づいてくる。週明けの会議での苦手な発表は、あっという間にやってくる。なんだか時間にいじわるされてる感じ。でも、時計が止まって見えた不思議な感覚とは次元が違う気がします。

 そこで僕なりに考えてみました。

 普段は2分で行っている作業があったとします。ある日、とても忙しくてその作業を急いでやることになりました。がんばって急いで作業すると、なんと1分で出来ました。その時、実際時間の1分の中に、普段の作業時間2分が詰め込まれたのです。自分が早く動くことによって、まわりが遅く見える。例えば、人間からハエを見ると、「なんて羽を早く動かせるのだろう! 僕はあんなに早く手を動かせない」と感心します。しかし、ハエから人間を見ると「ゆっくり動く生き物だな」と思われてそうです。僕が急いで作業した時、人間モードからハエモードに変わったのです。それで秒針が1秒かかって動き出した時、ゆっくり秒針が動き出したように見えたというわけ。

どうでしょうか? ひょっとしてこれはアインシュタイン博士の相対性理論に通じる!?

 

no.11_05.06.02
休日

 久々の休日。昼までゆっくり寝て、トーストとコーヒーで遅い食事。トーストはバターとジャムをたっぷり塗る。コーヒーは、お気に入りの喫茶店で買った豆を挽いて淹れる。お腹も落ち着いたところでソファーに寝っころがる。窓から青い空がみえる。雲がゆっくり流れてゆく。向かいの家の庭では、ねこがひなたぼっこをしている。ぼんやりして、気持ちよくて、うとうとしてきた…。

 気がつくとまた寝てたみたい。家族がタオルケットを掛けてくれていた。もう夕暮れだ。京都から引っ越したので、さすがにこの辺じゃ豆腐屋は通らないね。

 まさに、はじきよ日和な一日でした。

 


no.10_04.12.26
免許更新

 免許の更新へ行ってきた。前回の更新が5年前なので5年ぶりの風景。でも免許試験場は何も変っていなかった。
5年前といえば1999年。はじめにきよしがファーストアルバムを出したのが2000年だから、それよりも前になる。そう考えると、この5年間で僕は大きく変ったと思う。当時の僕からすれば、映画音楽を担当したり、その映画に出演したり、葉加瀬太郎さんや大貫妙子さんと共演するなんて考えられなかった。
古い免許証には5年前の僕が写っている。こわい顔でこちらをにらんでいる。この写真ともお別れだ。新しい写真はやさしい顔で写ろう、そう思って写真にのぞんだ。僕の番がまわってきた。落ち着く間もなくフラッシュが光った。……。今回もこわい顔で写ってしまった。
講習会の後で渡された免許証の写真は、意外にもおだやかな顔だった。5年間で苦手な写真にも慣れたようである。

 

no.09_04.09.30
秋が好き

  秋は一番好きな季節だ。夏が終わりに近づくと、ある日急に涼しい風が吹き抜ける。その爽やかな空気をおなかいっぱいに吸いこむと、「ああ、秋がきた」とつくづく感じて幸せな気分になる。しかしそれもつかの間で、また暑い日々に戻る。そうこう繰り返してゆくうちに本当の秋がやってくる。田んぼの稲穂が実って頭をさげる。青い空に赤とんぼが映える。そして突然、稲が刈り取られてさっぱりした田んぼ。夜の暗さがあたりを包みこむにつれ、明るさを増してゆく月。秋のしみじみとした感覚が大好きだ。
 冬は次に好きな季節。秋が終わりに近づくと、空気がいっそうひんやりしてきてワクワクする。あのぴんと張りつめた空気が好きだ。透き通るような夜空にオリオン座がはっきり見える。真冬の公園で飲むホットの缶コーヒーが好きだ。怪獣のように白い息を吐きながら家にたどり着くと、こたつでみかんを食べる幸せ。
 春はそんなに好きじゃない。冬から少し暖かくなった頃はいいけれど、苦手な夏の暑さがやってくると思うと憂鬱になる。
 夏は苦手だ。とにかく暑いのがだめだ。外に出るときは日陰を探す毎日。暑いから帽子をかぶる。かぶればかぶったで、おでこが汗で気持ち悪い。女性は日傘が使えるからうらやましい。

 季節を好きな順に並べると秋冬春夏となる。季節は4つなので、4×3×2=24通りの並べ方ができる。気の合う人とは同じ並びになるのかもね。

 



no.08_04.09.03

思いきって

 小学生の頃、「石のようにおとなしい子だね」と言われたことを覚えている。石は意思表示ができない。中学時代は少し活発になったが、高校時代はまた内向的な性格に戻った。特に、クラスの女の子とは緊張して会話ができなかった。「このままでは一生、彼女ができないのでは…」そう思って、大学生になった時、「アメリカ人のようにフレンドリーに、スペイン人のように情熱的になろう」と決心した。はずかしい話しだが当時は本気でそう考えた。それだけ焦っていたのだと思う。
 高校時代は、自分の部屋に閉じこもって、一人で自作曲を多重録音していた。オリジナルテープは作っていたが、誰かに聴いてほしいとは思わなかった。単に記録として残したかっただけだ。この時期は僕にとっての鎖国時代だった。日本が鎖国によって独自の文化を築いたように、僕の多重録音時代は自分の音楽をみつめた時期になった。
 そして、開国。大学入学とともに軽音サークルへ入部した。積極的に先輩にアプローチした結果、先輩バンドのメンバーになることができた。ライブハウス出演、定期演奏会、バンドコンテスト…、一気にバンド活動が始まった。彼女もできた。高校生までの自分とは別人の活動的な自分がいた。そんな生活がしばらく続いたある日、急に活動的でいることに疲れてしまった。もともと無理をしていたのだから当然なことだったと思う。内から見ていた外は魅力的だった。外に出てみると内は内で魅力的だった。無理せず自分の自然でいいのだと理解した。その後、また内向的な性格に戻ったが、やりたいことをはっきりと意思表示できるようになっていた。


  去年のクリスマスコンサートでソプラノ歌手の深川和美さんと知り合った。僕のピアノで深川さんが歌い出した瞬間、鳥肌が立った。「なんて心に響く歌声なのだろう。この人といっしょに音楽を創りたい」と思った。思いきって誘ってみたら快諾してくれた。深川和美と新谷キヨシのデュオ、「なごみにきよし」の結成となった。半年のリハーサルを重ね、なごみにきよしサウンドが完成した。11月に初ライブを開催する。


<深川和美さんのホームページ> http://www.jojo-plan.com/

 

no.07_04.07.29
いいこと


 長岡天満宮に蓮を観に行った。八条ヶ池には中国から寄贈されたという蓮が咲いていた。群生している蓮は、まさに天国のようであったし、大皿のような葉っぱが風に揺れると、中央に集まった水滴がころころと転がってかわいかった。回廊式の散歩道を歩いていたら、雲がたちこめ、雷が鳴り出した。丸窓のある休憩所に腰をおろした途端、雨が降り出した。雨が降り注ぐ池を丸窓からぼんやり眺めていた。
 次の日、なんだかパウンドケーキが食べたいなと思ったら、パウンドケーキのお中元が届いた。
 たまに思い通りの生活が続く時がある。もちろん逆の日もある。記憶の中では、いいことは蒸発しやすく、よくないことは凝固しやすい。だから、いいことがあった日のことを紛失しないように注意しよう。

 


no.06_04.06.28

幻想的日常


 僕は、一日の仕事を終え帰宅途中だった。夕暮れの道を歩いていると、時々突風にあおられた。台風が上陸しているのだ。雲の動きが速い。その雲を見ていると、雲が動いているのか、建物が動いているのか分からなくなってきて足もとがふらふらした。遠くのほうから轟音ともに車がこちらへ向かってきた。ぶつかる! と思った瞬間、ぎりぎりのところを車は駆け抜けていった。あぶないなぁ、と思ったら、今度は僕が車を運転して高速道路を走っていた。東に向かっていることは知っていたが、知らなかったとしても東に向かっていることは分かるのだと思った。
 どこまでもまっすぐな道を時速100kmで走っている。まわりの風景が大きすぎるせいか、走っているのに止まっているような気分になる。すると、たちまち霧がたちこめてきて、まわりの山々、田畑が一変して雲に変った。それでも道だけはくっきりしていて雲の中の道を走っている。道の下は虹になっているのかもしれないと思った。永遠に続くと思われた道がなくなり、今度は名古屋駅のホームで新幹線を待っている。もう夜の8時を過ぎているのに案内板には13時15分発の新幹線が来ると表示されている。それなのに誰も不思議がらずに当然の様子で待っていた。しばらくすると新幹線がぬるぬるとホームに入ってきた。新幹線に乗り込むと品川駅に着いた。
 品川駅からタクシーに乗り、スタジオに入った。時計を見ると夜の11時だった。こんな時間に東京にいるなんて、明日は会社に行けるのだろうか、と心細くなった。誰かが「それでは」と言うとレコーディングが始まった。レコーディングは夜中の3時に終わった。品川駅6時58分発の新幹線で京都へ向かった。



 2004年6月21日、CM音楽のレコーディングのため、仕事を終えて、新幹線で京都から東京へ行く予定だった。しかし、台風6号の影響で京都名古屋間が不通となったため、自宅に戻り、車で名古屋まで出て、名古屋から東京まで新幹線で向かった。レコーディングを終え、ホテルで仮眠をとり、翌日は何事もなかったように出社した。名古屋で乗り捨てた車は、サキタ氏が自宅まで届けてくれた。
 夢のような現実の話である。

 


no.05
_04.05.12
食べられない

 大人になっても食べられないものがある。例えばカレーうどん。カレーもうどんも大好きなメニューだ。特にカレーは大好物。カレーの曲を作るくらいなのに、カレーとうどんが合体すると食べられない。カレーパンもだめだ。カレーもパンも大好きなのに、その2つが合体するとこれまた食べられない。
 それから梅干が苦手だ。だから梅干入りのおにぎりが食べられない。これには時々つらい思いをしてきた。子供の頃、グループでピクニックヘ行くと、誰かがおにぎりを用意してくれた。中身はしゃけ、こんぶ、おかか、そして梅干。見た目には中に何が入っているかわからない。だから、梅干が当りませんようにと願いながら思いきってかぶりつく。はずれが出ても後へは引けない。ひたすら我慢して食べるのみ。その点、コンビニのおにぎりは中身が書いてあるからありがたい。
 しかし、コンビニの弁当は要注意だ。ごはんの真中に梅干がのっている。まずはこの梅干を取り除かなくてはならない。割り箸に梅干の汁がつかぬように注意してつまみあげる。しかし、その作業が成功したとしても梅干で赤くしみたごはんはどうすることもできない。そこだけ残すことも忍びないので、我慢して食べる。コンビニのお弁当屋さん! 梅干はごはんの上にのっけないでください。


no.04
うどん定食

 大人になってから食べられるようになったものに「うどん定食」がある。子供の頃、僕はごはんとうどんをいっしょに食べられなかった。
「ごはんとうどんはどっちもごはんやん」
「おかずになるものがないやん」
「うどんがおかずって絶対おかしい」
ずーっとそう思っていた。
 ある日、昼ごはんに入ったうどん屋でうどん定食をたのんでみたくなった。それは、ほんの出来心というか、いたずら心みたいなものだった。生れて初めて食べるうどん定食。のどかなうどん屋の中で興奮気味にうどん定食を待つ。何気ない風景の中に人知れずドラマは存在している。しばらくして、いよいようどん定食がやって来た。静かに食べ始め、静かに食べ終わった。「……おいしいやん」 それ以来、うどん定食が好きになった。
 大人になるとはこういうことなのかと、しみじみ納得したことを覚えている。30代前半の出来事。スロースターターな人生。

 


no.03

幻想と現実の境界


 ツアーやライブの移動はメンバーとスタッフの数人で行うが、去年の奈良でのライブの帰りは一人だった。
 JR奈良駅22時31分発の京都行に乗り込んだ。時間が遅いせいか車両には数人しか乗っていない。駅を出るとすぐに田舎の風景になった。走っていても草のにおいが車内に入ってくる。停車してゆく駅は初めて見る駅名ばかりだ。自分がとても遠いところにいるような気がして心細くなってきた。でもそれはさびしいとかじゃなくて、むしろほっとするような心細さ。そんな複雑な感情。
 雨が降ってきた。窓にしゅっしゅっとななめの線をひく。しばらくして雨の降りはじめ特有のこげくさいにおいが車内に漂った。
 見なれた京都駅に着くとほっとする。けれどもなんだかつまらない気持ちも裏側にくっついたままで。終点の京都駅で僕と数人のお客さんが電車から降りると、かわりにたくさんのお客さんが乗り込んだ。急に現実味を帯びる電車。幻想から現実に引き戻される感じ。止まっていた時間が動き出す感じ。折り返し運転だから行き先は奈良。電車はまた幻想に向かってゆく。

 

no.02
夏目漱石

 この間、ライブで初めて愛媛県松山市へ行った。松山市は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台となった場所だ。街には路面電車が走っており、当時の機関車を模した「坊っちゃん列車」も走っていた。さっそく小説「坊っちゃん」を買って読んだ。

「車へ乗り込んだおれの顔を昵と見て『もう御別れになるかも知れません。随分御機嫌よう』と小さな声で云った。」

 明治時代の小説は文章が昔風で趣がある。しかし、急に外国語があらわれてドキンとさせられる。

「そうかと思うと、赤シャツの様にコスメチックと色男の問屋を以って自ら任じているのもある。」
注解 コスメチック:チックともいう。頭髪を整えるのに用いる化粧品。 

ちなみに夏目漱石で一番好きな作品は「夢十夜」だ。


新潮文庫 夏目漱石「坊っちゃん」より引用





no.01

大と小


 ピアノを弾く時は、宇宙をつかむように弾きたい。ピアニカを吹く時は、
原子にふれるように吹きたい。
 地球は太陽をまわっている。電子は原子核をまわっている。昔、学校でそう習った。
その時、地球が太陽をまわるのも、電子が原子核をまわるのも、よく似てるなと思った。
目の前の消しゴムの中の分子は、実は太陽系のような宇宙で、その中に星や生物がいるんじゃないか。
いや、まてよ。逆に考えると、僕らの住む太陽系、それらを含む宇宙も、誰かの消しゴムの
カスかもしれない。授業中、消しゴムを眺めながら、そんなことを空想してたのを思い出したよ。

 

 


 

このページにに掲載されている文章・画像等、全ての内容の無断転載・引用を禁止します。
Copyright (c) 2003-2004 Kiyoshi Shintani All right reserved.